時を重ねて大人になれたのか?

手の間の一隅を彩るバラは、今を盛りに美しい。
手の間の一隅を彩るバラは、今を盛りに美しい。

気づくと師走。今年も一年が瞬く間に過ぎてゆく。その実感は、年を重ねるほどに深くなった。私の時間に加速度がついたのは、いつ頃からだろう?

若い頃は早く30歳になりたかった。仕事を覚え、何かを任せてもらえるだけの力をつけ、大人として接してもらえるようになりたいと願っていた。その目安が私にとって30歳だった。そう思うようになった出来事が2つある。

 

ひとつは、就職してすぐに出向したファッションビルが思わぬ不振にあえいでいたとき。そのビルの4階で情報提供のサービスをするカウンター業務についていた私は、流通本体の社員からきついひと言を浴びせられた。「エスカレーターを毎日4階まで昇降させるには月100万の経費がかかる。せめてその100万を回収できるだけの働きをしなさい」。デパートなど流通ビルの最上階に催事場が置かれているのは、シャワー効果といって客をいったん集約した後、各階に降ろしていくことで回遊性を高め、購買の機会を増やすことを目的としている。つまり、サービスを受けたいと思う客を見込んで4階にあなたを配置しているのだから(あなたの会社にお金を払っているのだから)客を呼び込む工夫をしろ、ということだ。もっともだ。しかし、大学を出たばかりの私には情報の何たるかも、ましてや仕事を自分でつくるということがどういうことかも全く分かっていなかった。役に立てていない負い目と何をすべきかが見えない焦り。「仕事」の形がつかめず閉塞感のなかにいた。

 

もうひとつはその後のこと。出向先から編集部に配属が変わり、「仕事」というものが具体的な形として見え始めた頃。それをこなすのは思いのほか簡単だった。手法とルールさえ覚えれば誰でもできる「作業」を「仕事」と混同していた私は、全く成長していなかった。ある日、業務提携の挨拶に出かけた某大手新聞社の担当者に「女・子どもに渡す名刺はない」と告げられた。さらに「とにかく締め切りに遅れないよう、間違いのないイベント情報を配信してくれればいいから」と面倒くさそうに言い渡され、顔合わせはおしまい。何が何だかわからないままに新聞社を後にした。おそらく当時の私は、学生アルバイトの延長のような雰囲気で、信頼感などこれっぽっちも漂わせていない“パシリ”のような者に映ったのだろう。そして、実際にそうだったのだと思う。

 

その2つの体験を経て短絡的な私は、年さえ重ねれば仕事の出来る大人になり、30歳くらいになれば雰囲気のある人間になれるのだろうと漠然と考えるようになった。その結果は・・・言うまでもない。そして今さらながら、20代を謳歌することなくがむしゃらに30代へと突き進んだ自分を悔やむ、40代最後の師走なのである。