大きな手帳は手放せない。

井上ひさしの「ボローニャ紀行」を読んで、ぜひこの織機の音を聞きたいと、旅に出たことを思い出した。
井上ひさしの「ボローニャ紀行」を読んで、ぜひこの織機の音を聞きたいと、旅に出たことを思い出した。

スマートフォンの需要が伸びた今日、来年の手帳はコンパクトサイズが売れているのだそうだ。日常のスケジュール管理はスマートフォンで済ませるから、手帳はサブ。大きなものは必要ないという。

 

私も仕事用にスマートフォンを持っているが、宝の持ち腐れ。しかし、仮に私がスマートフォンを使いこなせたとしても、負け惜しみではなく、大きな手帳は手放さないと思う。そこに記されたアポの記録や走り書きのメモをパラパラとめくる度、書かれた文字の形や勢いから、その時の自分の心持ちや思想が、昨日のことのように思い出されるからだ。私にとって手帳は、仕事道具であり、私事道具でもある。

 

今年は、イタリア語を学ぼうとしたこと(新年をボローニャで迎えたのでその影響)に始まった。2月には「神は準備をした人に道を与える」という殴り書きが見える。仕事の選択で悩みがあった時期だ。そして、2010年に行きたい店や会いたい作家の名前も、欄外にちょこちょこと書き付けられている。実現できたのは半数くらいだろうか。4月後半には2週間の休みをとってキューバへ行っているが、随分と遠い出来事のようだ。

 

6〜7月には、観たドキュメンタリーの記録が多い。シリアにあるキリスト教の隠れ里マールーラ村を描いた作品やレバノン内戦時の宗教対立の話、インドのティハール収容所を改革したキラン・ベディの物語に、反アパルトヘイト指導者のオリバー・タンボの半生、現在の南アを引っ張る女性政治家ヘレン・ズィレの政権奪取への闘い、コロンビアはボゴダを劇的に変えた二人の市長、アンタナス・モックスとエンリケ・ペニャロサの改革劇などなど。

 

しかし8月以降は、そういう記録がぱったりと途絶え、アポの数が恐ろしいくらいに増えている。その無味乾燥な状態は11月まで続く。確かにその頃の記憶は仕事一辺倒。私は手帳には、業務アポ以外にもやるべき事を書き連ねていき、実行したことから線を引いて消してゆく。しかし、足を運ぶべき作家の個展スケジュールやご挨拶回り、礼状書きなどには線が引かれないまま、今日までそっくり残っている。今年の不義理・不始末の数がひと目で分かるというわけだ。反省。

 

一年は驚くほど早く過ぎるけれど、こうやって手帳を読み返してみると、無為に過ごしたわけではないことが実感できる。来週は新しい手帳を買って、今年やり残したことを1月欄に書き込もうと思う。