1枚の葉書に励まされる

今年の4月から9月にかけて、市政だよりにコラムを執筆させていただいた。配布数が多いだけに反応もあり、手の間を訪ねて来てくださる方やお便りをくださる方もいらっしゃった。知人からは「読んでるよ!」と声を掛けられた。みなさん、ありがとうございました。

 

で、一昨日は、執筆の機会をくれた市役所の人(と言っても私のかつての上司であり、今では友人)と食事。昔からそうなのだが、私はいつも彼女の芸術全般に対する興味の広さに感嘆する。その夜も、とりとめのないくらい全方位型で、舞台やオペラやアート、そして料理と食の話題を肴に焼鳥をつついた。

 

帰り際、「そうそう、さとこちゃんにファンレターを渡すのを、また忘れるところやった」と言って1通の葉書をくれた。消印は9月。差出人は、私のコラム最終回にあたって、感想とお礼を綴ってくださっていた。市役所に葉書を送るということは、ネットで手の間の住所を調べることができない環境にいらっしゃるのだろう。一文字一文字の几帳面さ、拝啓に始まり敬具で終わる文面の丁寧さから、私は差出人の姿を想像し、しみじみと嬉しかった。今の自分の方向性に自信もわいてきた。ありがとうございました。

 

随分昔の話だが、やはり1通の葉書に励まされたことがある。連日、残業で朝帰り。ひどいときは、空いた椅子を連ねてベッドを作り仮眠をとる・・・というような日々が、いつ終わるともなく続いていた時期。2週間に1度の締め切りに追われつつ、新しい情報を追い求める繰り返しに、心身ともに折れそうになっていた。私は誰のために何を御そうと格闘し疲れているのか、その理由がつかめていなかった。漠としたものと向かい合う感覚の、気持ち悪さだけがあった。

 

そんな折、編集部に絵葉書が届いた。表には夏の北海道の並木道。心に爽やかな風が吹き渡るようだった。裏には「あなたの頑張りが、読者、ひいては福岡市民を元気づけていることを信じて、頑張ってください」と綴られていた。見透かされているようで驚いた。じ〜んと胸に響いた。差出人には「福岡市の西の学校教師」とあった。返信の出しようもなく、私は編集後記にお礼の言葉を書いた。

 

雑誌の向こう側が見えるようになったのは、その時からだ。読者という像が、実感できるようになった。漠としたものの焦点が、ようやく合った。業務を、自分への評価のために優等生的にこなしていた「会社員」から、少しだけ、「編集者」に近づかせてくれた大切な1枚の葉書。その有り難さを、私はずっと忘れない。