ありがとう!旧 手の間

2012年6月15日、旧手の間を目に焼き付けた。雑木を縞目に組んだカウンターテーブルも、時間とともに艶を増した。
2012年6月15日、旧手の間を目に焼き付けた。雑木を縞目に組んだカウンターテーブルも、時間とともに艶を増した。

6年半を過ごした空間に別れを告げ、新しい手の間に移って2週間が過ぎた。まだ工事は完全には終わっておらず、事務所内は散らかったまま。仮業務はスタートするが、すべてが整うのは7月末頃になりそうだ。引っ越し準備を始めたのが5月半ばだったことを考えると、荷造りや手続きで約2カ月を費やしたことになる。終わりが見えた今だからこそ「移転して良かった」と思えるが、こういう展開を初めから予想していたら、もしかしたら引っ越ししようなどとは思わなかったかもしれない。それほど引っ越しは大変だった。

 

今回の移転で最も勉強になったのは、「居抜き」という賃貸物件譲渡の仕組みだ。旧手の間はスケルトン(がらんどう)で借り、基礎となる壁や床、台所などを造ってから入居した後、毎年のように改装工事を繰り返し、時間をかけて創り上げたものだ。それなりのお金もかけた。目標は「時を経るほどに美しく朽ちていく(磨かれていく)空間」だったから。しかし手塩にかけた空間も、退去時には元のスケルトンに戻す(壊す)というのが条件。それには高額な費用がかかり、回避するには、空間をそっくりそのまま譲り受けてくれる次の店子を見つけるしかない。それが「居抜き」だ。

 

旧手の間は、久山土の黄土色が美しい意匠をなす独創的な土壁が特徴だった。そして、何年もかけてようやくビル空間に馴染ませた土間。艶やかな磨き漆喰の展示棚と、捌け目が大らかなリズムを刻む砂漆喰の展示壁。釘サビが雨に流れて模様を描いた古い木戸には、丸く小さな真鍮の取っ手が埋め込まれた。ひとつひとつが私にとっては大切な大切なものだった。しかし担当不動産屋さんの言葉は厳しく、「こういう意匠に凝った空間は好き嫌いの世界ですから、居抜きの借り手は見つかりにくいでしょうね。居抜き料も足下を見られて10万円ってところでしょうか」。

 

驚いた。私が手の間を大事に思う気持ちとそれを譲り渡すことは別物だとは承知していても、現実を突きつけられると傷ついた。10万円だなんて二束三文じゃないか・・。しかも悪いことに、私は移転先の物件を先に見つけてしまっていたために、退去までに残された時間は3カ月しかない。担当不動産屋さんの言う「足下を見られて」というのはこのタイムリミットのことで、この期間内に借り手が見つからなければ私にはスケルトン戻しの道しか残されておらず、しかもその工事が不十分な場合、下手をすると賠償問題にまで発展するというシナリオを提示されたのだ。つまり、退去工事に万全を期すなら、借り手探しには実質2カ月しかない。そうなると、金額云々を言っていられない。ダメならスケルトン工事費用の百数十万円を支払って、旧手の間を壊すしかないのだ。

 

結局、担当不動産屋さんとは別のR社さんの仲介で、なんとか借り手は見つかった。お陰で、旧手の間の空間はおおむね原型を留めた形で残ることになった。そのことがとても有り難い。そう、有り難いのだが、なんとなく腑に落ちない。それは、私の手の間に対する執着ゆえだろう。誰かに渡すくらいなら自分で壊した方が・・なんていう演歌の世界の心情にとらわれていた。

 

2012年6月15日は、旧手の間の最終日。何もかも運び出された空間は、広く、そして清々しかった。最初に目指したとおり、手の間は美しく朽ちていく途中だったのだと思った。その姿を最後まで見届けることができなかったのは心残りだけれど、40代後半の私のチャレンジを見守ってくれた手の間には、心から感謝している。私は旧手の間の姿を目に焼き付けようと、あらゆる角度から気が済むまで空間を眺めた。

 

やがて時間となり、R社さん立ち会いの下、引き継ぎ手にしぶしぶ鍵を渡す。後ろ髪を引かれる思いで扉を閉めると、寂しさがギュンと胸に込み上げてきた。すると、ともに手の間を立ち上げたYちゃんが言った。

「昔の男はスパッと忘れて、次、行きましょう!」。

そうそう、そうだよね。旧手の間は第一章。次は新しい手の間で第二章が始まるのだ。悲しいはずなのになんだかおかしくて、私の心は急に軽くなり、視界がぱっと開けた。